幸せについて考えた結果死ぬことだった
昔からいじめ関係で「つらいから死にたい」という気持ちはあった。
死のうとしたこともあった。
でも今は「幸せになるために死にたい」と思う。
昔ほどつらいことがあるわけではない。
逃げたくなるような出来事があるわけではない。
仕事もほどほどで、セクハラパワハラもなく平凡な毎日だ。
(セクハラパワハラについてはまた今度詳しく書こうと思う)
ただ、そうだな、平和なんだ。
昔では想像できないくらい平和なんだ。
だから死にたいと思う。
もしまたつらい思いをしたらどうしよう。
そう思うと、平和でぬるくて幸せな今、死んだ方が幸せなのではと思う。
不幸な思いをする前に幸せなうちに死にたい。
昔からポジティブに考えられないタチで、この幸せが一生続くとは思えない。
もしかしたらセクハラパワハラが復活するかもしれない。
もしかしたら立ち直れない何かがあるかもしれない。
もしかしたら、もしかしたら、もしかしたら。
そんなことを考えながら生きるより、幸せな今死ぬことこそが幸せなのでは?
そもそも20歳に死ぬ予定だった今、余生を謳歌しているようなものだ。
故に適当にフラフラと生きてるわけだが。
死んでいたはずの人生である、1年後2年後の人生も興味がない。
人生設計なんてもの、20歳以降は存在しないのだ。
だからこそ、生きていけるのかもしれない。
希望も興味も何もない人生だからこそどうでも良いし、多少つらくても生きていけるのかもしれない。