惰性で生きて何が悪い

多分死ぬことが一番幸せになれると思う

嬉しいより先にイライラしてしまう

割り切って諦めてきたものを今更歩み寄られても受け入れがたい。

生きにくさを感じています。

 

ずっと家事をしてほしいと伝えてもしてくれなかった。

行為を求めても拒否られた。

つらかった、しんどかった、でも別れてもくれなかった。

だから諦めて割り切った。

 

でも最近、ちょこちょこ家事をしてくれるようになった。

相手から求められることもあった。

正直、ありがとうより「えぇ…なに…?」という気持ちが強い。

むしろ自分の生活スタイルを崩されてイライラさえする。

 

良い変化だとは思う。

レスについてはあんなに悩んでたし、それが解決したのであれば喜ばしことだと思う。

でもどこか、それを受け入れられない自分がいる。

旦那を同居人と割り切ってしまったからなのか。

今更なんだ、と思うのか。

 

難しい。

どちらに労力をかけるべきか

離婚をしたい、とずっと思っている。

理由は様々ではあるが、漠然と離婚をしたい。

親や友人に相談をしても「離婚した方が良い」と言われるレベルである。

だが旦那は離婚反対で、意地でも同意しない。

 

「離婚に労力をかける」か「今の生活を少しでも良くするのに労力をかける」か。

どちらも同じくらい大変で、どちらも幸せになるか分からない。

 

例えば離婚するとなった場合。

話し合いでダメなら調停離婚だが、そのためには弁護士は必須。

ただ弁護士費用・資料作成・長期戦を考えると個人的にはあまり現実的ではない。

 

例えば今の生活を良くするとなった場合。

ルームシェアくらいの気持ちで接すれば楽だが、旦那が同じ気持ちかは不明。

喧嘩しないよう生活をしたところで自分の不満は解決されず、旦那は今以上に調子に乗る。

 

そもそもそこまでして離婚したいのかどうか。

世間体だったり、旦那への説得だったり、手続きだったり…。

諸々考えた結果、ひたすらめんどくさいと思った。

今はまだ「旦那への不満<離婚のめんどくささ」なのだろう。

 

いつかきっと何かが爆発して、その時は離婚するんだろうか?

それとも今と同じよう、めんどくさいから離婚しないんだろうか。

そもそもめんどくさくて結婚した私は、つらくてもめんどくさい離婚をするのだろうか。

頭がおかしいことなんて分かってる

喧嘩して「お前は頭がおかしい」と言われました、どうもです。

元々鬱っぽい?鬱?なところがあって、よく腕を切ったり急に泣いたり、パニックになったように泣き叫ぶことがありました。

結婚前からそうで、それでも良いと言われて結婚したわけですが。

 

私自身、精神科や心療内科、メンタルに関する病院は嫌いでした。

中学の頃に通院したものの、薬を飲むのも苦痛で、自分が異常と認識することも出来なかったです。

薬を拒んだのもあり、箱庭療法や絵を描かされてそれに対して説明を求められたり、何の意味があるのかさっぱりでした。

カウンセリングと呼ぶには程遠い問診のみ、出されるのは漢方薬ばかり。

効果も実感できない!とかですぐにやめた記憶があります。

 

でも昔、元彼と同棲していた時に「いちかの鬱病が負担だから別れてほしい」と言われたことがあり、自分の存在は負担なんだと実感しました。

ようやく自分が異常で頭がおかしいと認識して、だからこそ恋人を作らないようにしようと思いました。

(一人で生きていけば誰にも迷惑かけないと思って、ここで治療するという選択はなかったですね)

 

でもそんな自分でも良いよ、と受け入れてくれたのが旦那でした。

だから付き合って、結婚もしたんです。

もちろん、自分の病気に胡坐をかくだけじゃなくて通院もしてます。薬嫌い。

だからこそ今更何を言ってるんだろうという気持ちと、頭おかしいから病院行ってるんじゃんって気持ちと、だったら全然離婚してくれていいよって気持ちと、生きててごめんなさいって気持ちと。

頭ぐちゃぐちゃですね。

 

嫌なら離婚したらいいのに、という言葉しか出てこない。

別に鬱が負担で~なんてその通りだと思うし、引き留めもしないし、何なら提案するレベル。

パワポでも作って別れればいかに楽になれるかプレゼンするレベル。

それくらい離れた方がメリットがあるのに、って思うよ。

 

すぐには治らないし、なんだったら頭おかしくなる原因9割は旦那だし、一緒に居て明るい未来はないんだけどな。

幸せについて考えた結果死ぬことだった

昔からいじめ関係で「つらいから死にたい」という気持ちはあった。

死のうとしたこともあった。

 

でも今は「幸せになるために死にたい」と思う。

昔ほどつらいことがあるわけではない。

逃げたくなるような出来事があるわけではない。

仕事もほどほどで、セクハラパワハラもなく平凡な毎日だ。

(セクハラパワハラについてはまた今度詳しく書こうと思う)

 

ただ、そうだな、平和なんだ。

昔では想像できないくらい平和なんだ。

だから死にたいと思う。

 

もしまたつらい思いをしたらどうしよう。

そう思うと、平和でぬるくて幸せな今、死んだ方が幸せなのではと思う。

不幸な思いをする前に幸せなうちに死にたい。

 

昔からポジティブに考えられないタチで、この幸せが一生続くとは思えない。

もしかしたらセクハラパワハラが復活するかもしれない。

もしかしたら立ち直れない何かがあるかもしれない。

 

もしかしたら、もしかしたら、もしかしたら。

そんなことを考えながら生きるより、幸せな今死ぬことこそが幸せなのでは?

 

そもそも20歳に死ぬ予定だった今、余生を謳歌しているようなものだ。

故に適当にフラフラと生きてるわけだが。

死んでいたはずの人生である、1年後2年後の人生も興味がない。

人生設計なんてもの、20歳以降は存在しないのだ。

 

だからこそ、生きていけるのかもしれない。

希望も興味も何もない人生だからこそどうでも良いし、多少つらくても生きていけるのかもしれない。

めんどくさい世の中である

「めんどくさいからしただけ」ずっとそんな人生を送ってきた。

人のことや愛を信じれなかった。

そんな自分が「めんどくさいから」結婚した。

 

「結婚は幸せですか?」

「いいえ。」

「お子さんは作る予定はありますか?」

「いいえ。」

 

そんな回答をすると必ず夫婦仲を心配される。

確かに喧嘩や不満は多いし、周囲に旦那の話をすればモラハラだのなんだの言われる。

でも私自身、それに対して特に問題視していないのだ。

 

世の中は生きにくい。

結婚していなければ問題ありと認識され、結婚を急かされる。

結婚すれば子供を持つことが当たり前で、持たない選択をすると不思議がられる。

してもしなくてもめんどくさい。

結婚しない納得できる理由は多々あるが「経済的にも身体的にも問題なく結婚している夫婦が子どもを持たない」に対して納得しやすい理由が少ない。

 

子どもは好きじゃない、無責任に作りたくない。

そういっても「自分の子は可愛いもんよ」「考え過ぎよ」なんて助言してくるのだ。

私たちのことを、何も知らないのに。

 

ひたすら少数派は生きにくいのだ。